ここからは、新規事業や新製品開発において、最も困難で、かつ最もエキサイティングな「技術翻訳とエンジニアリングの実装フェーズ」について解説していきます。
 
これまでの企画フェーズにおいて、私たちは顧客のリアルな行動観察を通じて「切実な痛み(インサイト)」を発掘し、「この課題を解決すれば、あの人は絶対に笑顔になるはずだ!」という強烈な「コンセプト(熱狂の種)」を打ち立てることができました。
ここからはいよいよ、その抽象的な言葉やアイデア(右脳的アプローチ)を、現場のエンジニアや工場が理解し、実装できる具体的な「設計図や仕様書(左脳的アプローチ)」へと翻訳していくフェーズに入ります。
 
どんなに素晴らしいコンセプトも、それを安定的に機能させ、量産し、顧客の手に届く「モノ(技術)」として具現化できなければ、ただの絵に描いた餅に終わってしまいます。本連載では、その「壁」をどう乗り越えるか、泥臭い実践論をお届けします。
第1回となる今回は、開発現場で真っ先に陥りがちな「致命的な罠」についてお話ししましょう。
 
「これだけ凄い技術なのだから、絶対に売れるはずだ」という幻想
顧客の抱える課題と、それを解決する素晴らしいコンセプトが見つかり、いざ開発をスタートさせようという時。多くの開発現場、特に技術力の高いメーカーや優秀なエンジニアが集まるチームほど、ある致命的な間違いを犯してしまいます。
それは、「技術的に可能なもの(What)」をとりあえず作ってから、「これをどうやって売ろうか(How)」と後知恵で考えるという順序です。
いわゆる「プロダクトアウト」のアプローチですが、これがいかに危険か、身に覚えのある方も多いのではないでしょうか。
 
開発会議では、しばしばこんな会話が飛び交います。
「最新のモーター技術を使えば、出力が今までの2倍になるぞ!」
「この画期的な新素材を使えば、こんなに薄くできる。すごいことだ!」
「自社の持つ最高の技術をすべて詰め込んだのだから、絶対に売れるはずだ!」
エンジニアたちは自分たちの技術の高さに誇りを持ち、多大な時間と予算、そして情熱をかけて立派な試作品や新製品を完成させます。そして、満を持して市場に送り出すのです。
しかし、結果はどうでしょうか。
顧客からは「確かにすごい技術だけど、私には必要ないかな」、「操作が複雑すぎて使いこなせない」、「そこまでハイスペックで高価なものは求めていない」と完全に拒絶されてしまいます。
莫大な投資をして、在庫の山を抱え、顧客にそっぽを向かれて初めて、自分たちが根本的に間違っていたことに気づくのです。
 
ピーター・ドラッカーが指摘する「完璧な無駄」
この悲劇の本質を突いた、経営学者ピーター・ドラッカーの有名な言葉があります。
「まったくすべきでないことを、極めて効率的に行うことほど、無駄なことはない」
これは、技術開発や新規事業において極めて重い意味を持ちます。
 
顧客の切実な課題(Why=なぜ作るのか)を深く理解しないまま、「自社の技術で何が作れるか(What)」だけで走り出してしまう。そして、自社の優秀なエンジニアリング能力をフル稼働させ、高度な技術を駆使して「誰も欲しがらないもの」を完璧に作り上げてしまう。
これこそが、ビジネスにおける「完璧な無駄」です。
 
エンジニアリングの世界では、決められた仕様をいかに早く、安く、正確に実現するかが評価されます。しかし、その仕様自体が顧客の求める価値からズレていれば、その後の開発プロセスがどれほど効率的で完璧であっても、生み出される価値はゼロ、あるいはマイナスです。
「どうやって凄いモノを作るか(How / What)」に思考が占領されてしまうと、技術としての完成度は高いが誰も必要としない「ガラパゴス商品」が量産されることになります。
 
目的地なき航海からの脱却
ビジネスのスタートは、決して「自社の技術で何が作れるか」であってはなりません。
「なぜ作るのか」、すなわち「顧客の課題が解決された『意味(体験価値)』を明確にすること」から始まります。
目的地(顧客が喜ぶ未来)も海図(ビジネスとしての勝算)も持たずに、船のエンジンの性能(自社のコア技術)だけを頼りに大海原へ航海に出るような無謀な真似は、今日限りでやめなければなりません。
 
技術とは、あくまで顧客の痛みに寄り添い、社会とつながった瞬間に初めて「価値あるプレゼント」に変わる「手段」なのです。どんなに世界最高峰の技術を使おうとも、解決すべき「本質的な課題」がズレていれば、それはただのガラクタになってしまいます。
では、どうすれば私たちはこの「技術先行」の呪縛から抜け出し、技術を顧客の「熱狂」へと正しく翻訳することができるのでしょうか。
「とりあえず作ってみる」という衝動を抑え、開発を正しい軌道に乗せるための極めて効果的なアプローチが存在します。
 
次回は、あのAmazonも実践している究極の逆算思考、「設計する前に『未来のプレスリリース』を書け」というテーマについて解説します。
技術的な裏付けすらない初期段階で、いかにして「顧客の体験価値」の解像度を極限まで高めるのか。最新の技術ニュースの事例も交えながら、その実践的な手法に迫ります。