先日、中小企業同友会青年部が主催する特別講演会に参加した。会場の熱気は、始まる前から尋常ではなかった。それもそのはず、登壇者はあのドラマ「ファーストペンギン!」のモデルとなった、株式会社GHIBLI代表の坪内知佳さんご本人だ。
ドラマを通じて、彼女の型破りな挑戦の物語は知っていた。シングルマザーでありながら、縁もゆかりもない山口県萩市に単身乗り込み、荒くれ者の漁師たちを束ねて漁業の6次産業化を成し遂げたスーパーウーマン。しかし、僕らが昨夜目の当たりにしたのは、そんな華々しいサクセスストーリーの裏に隠された、壮絶な「覚悟」の物語だった。
坪内さんは、穏やかな笑顔で、しかし力強い言葉で語り始めた。彼女が飛び込んだ漁師の世界は、僕らの想像をはるかに超えていた。都心から離れた閉鎖的なコミュニティ。複雑な家庭環境で育ち、人を信じることを知らない者も多い「荒くれモノ」の集団。そこに現れた「若い女」「よそ者」、しかも子連れのシングルマザー。
「出ていけ!」という罵声、車のタイヤをパンクさせられる嫌がらせ、漁協からの猛烈な圧力。事業を始めても全く魚は売れず、私財を切り崩し、借金を重ねる日々。なぜ、心が折れなかったのか。なぜ、これほどの逆境の海に飛び込み、泳ぎ続けることができたのか。
会場にいた誰もが抱いたであろうその問いに、彼女は一つの答えを示した。それは、彼女の人生を貫く、ある強烈な原体験から生まれた言葉だった。
「死ぬことに比べれば、どんな失敗もかすり傷だ」
この一言が放たれた瞬間、会場の空気が変わった。それは単なる精神論や根性論ではなかった。彼女が20代前半、死の淵をさまよった闘病体験から絞り出された、血の通った哲学だった。
大学在学中に発症した免疫疾患「膠原病」。原因不明の高熱と激痛で、起き上がることすらできない日々。そして医師から告げられた「このままだと20代で死ぬかもしれない」「子どもは産めないだろう」という絶望的な宣告。友人たちが未来を語る中、自分だけが「死」と隣り合わせの現実を突きつけられた。
その時、彼女の中で何かが吹っ切れたという。「どうせいつ死ぬかわからないなら、人の顔色をうかがって生きるのはやめよう。やりたいことを全部やって、笑って死のう」。
漁師の世界に飛び込むリスクも、事業が失敗する恐怖も、「死」という絶対的な現実を経験した彼女にとっては、文字通り「かすり傷」に過ぎなかった。
講演の終盤、彼女は言った。「困難は、乗り越えるためにあるんじゃない。その困難を経験した自分に、どんな意味を見出すかが重要だ。今日もまだ生きている」と。
坪内さんの物語は、僕ら経営者に鋭く問いかける。目の前の資金繰り、人材問題、取引先とのトラブル。それらは本当に「命を取られるほどの」問題なのか。僕らは「かすり傷」を恐れるあまり、本当に挑むべき大海原から目を背けてはいないだろうか。
人はきっと、もう少しだけ、大胆になれる気がする。死ぬこと以外は、全部かすり傷なのだから。


